3人横並びに座るトラックに憧れている

もしもこの世に楽園があるとしたら、どこだろう?波照間島のニシ浜かな。それとも乳頭温泉郷?吉祥寺のハモニカ横丁なんかもいいよね。でも私は、3人横並びに座るタイプのトラックだと思う。
運転の途中、赤信号で止まっているとき。ふと隣を見ると、トラックがいることがある。前列の狭いシートに、3人がぎゅっと横並び。彼らはいつ見ても、例外なく楽しそうだ。談笑したり、肩を叩き合ったり。先日は運転手が笑いすぎて、真っ赤な顔でハンドルをバシバシ叩いていた。
どんな話をしているんだろう。ニホンザルのパンチくんの話かな。昼は家系かそば屋か。中学のとき好きだった子の下の名前なんて、当然している。宝くじで3億当たったら何に使うか、無人島に1つだけ持っていくなら何か。健康診断で引っかかったγ-GTPの数値なんかも、ここでは笑い話になる。話しても話しても、話は尽きない。トークに花が咲きつづける永遠の春。
SNSが世界に開かれすぎた場所なら、ここは完全に閉じられた「逆SNS」だ。サルトルは人間のことを「存在の穴」と表現したが、3人横並びトラックはさながら「社会の穴」である。カメラもマイクもない。ネットにもつながっていない。そこは何を言ってもいい開放区(©木村拓哉)。現代に唯一残された聖域といっても、大げさではないだろう。
かつて私たちは、同じ方向を向いていることがよくあった。縁側しかり、家族でのドライブしかり。PlayStationやWiiで遊んでいるときだってそうだろう。視線がそろうことの効果は大きい。「共視」というらしい。人と人のあいだに「もうひとつの対象」があると、見つめ合わなくても、一緒に眺めるだけで情緒がつながっていく。
ところが縁側はほぼ消失し、友人とゲームをしたり、家族でドライブする機会なんてどんどん減っている。3人横並びトラックは、いまや貴重な共視の場なのだ。仲良くならないわけがない。
運転手は、きっと忍耐力があるタイプだ。長時間でも長距離でも、ぜんぜん大丈夫。そんな安定感のある、頼れる存在。真ん中は人たらしに決まっている。左右の人の特性を見極め、会話と会話をつなぐ「レインボウ・イン・トラック」。パーソナルスペースが小さく、閉所でも平気というたくましさもある。窓際に座るのは、プロデューサー気質の男。ハンドルこそ握っていないものの、3人を取りまとめ、プロジェクト全体の舵をとる。見事に違う能力でお互いをカバーしあい、ここには完璧な社会が現出する。
たとえば、こんな瞬間もあるかもしれない。到着まであと少し。真ん中のハヤトが、ぽつりとつぶやく。「この時間が、永遠につづけばいいのに」。心の声が漏れてしまったことに気づき、あわてて笑う。「すみません、何言ってるんだ俺!着いたら荷下ろし速攻終わらせましょう!」。すると運転手のマサヨシが、フロントガラスに溶けていきそうな、吐息のような声で言う。「…今、おなじことを考えてた」。こんなとき、窓際のツバサはいつだって冷静だ。2人を諭して、現実に引き戻してくれる。ところが、口をついて出たのはこんな言葉だった。「だったらさ、このまま走り続けようよ!仕事なんか放棄して、どこまでも走って、どこまでも喋ろうよ!朝日が見えたら朝日に向かって、月が出たら月に向かって。いつまでも、いつまでも!」。ああ、そんな展開だって、きっとあるだろう。
いつしか私は「あそこに乗りたい」と強く憧れるようになった。先日、環七で見かけたときも。目白通りでも、246でも。隙あらばトラックによじ登り、コンコンと窓ガラスをたたき、「その甘美な時間をわけてくれないか?」と交渉したい。怪しくないように満面の笑みを浮かべながら。私はトラックの免許を持っていないし、狭い場所も苦手だから、窓際のプロデューサー席あたりに座らせてもらう。そして、きっとこう言うんだ。「ここは誰も話を聞いていない楽園さ。さあ、今日は何をさらけ出す?」
