#2-1 腹落ちと頭上げ
約51分

澤田智洋(コピーライター)と近内悠太(哲学研究者)による、テンポ感や直感を大事にする番組です。共感より換気。結論より躓き。贈与、あまり、遊び、身体などをめぐって、自在に、気ままに言葉を交わしていきます。

- 澤田智洋(コピーライター)

- 近内悠太(哲学研究者)
※音声の自動文字起こしをもとに、読みやすく編集しています。
澤田:はい、ことばのグルーヴとスピード感を大事にしている「ことばのBPM」、始まりました。私、コピーライターの澤田智洋といいます。そして?
近内:哲学者の近内悠太です。よろしくお願いします。
澤田:今日で3回目ですね。1回目、2回目と、本当に遊びの延長で話してみて、2人でポッドキャストをやるとこういう形になるんだな、というのはちょっと見えてきて。ただそのときには番組名がまだなくて。2回目の収録が終わった後で、ゆうりんとメッセンジャーで何回かやり取りさせていただいて、僕も何案か出させていただいたんだけど、「ことばのBPM」に決定しました。
近内:はい。
澤田:これ、発案者というか、ゆうりんから何か思いがあれば教えてください。
近内:僕がポロッと言ったやつを、澤田さんが拾ってくれたというか。「いい表現だなと思ったんですよ」っていうふうにして、タイトルがこれになったんですよ。逆に言うと、澤田さんの中でどう響いたのか。僕の中で思ったものじゃなく、たぶん澤田さんの中で想起するものとか、感じた風景とかがあると思うんだけど、それが気になるなと思って。
澤田:これは飲み会のときに、ゆうりんが、僕ととある方が会話してるのを聞いて、「お二人に共通してるのは、ことばのBPMですよね」って。
近内:うん。
澤田:ワインをたぶん2本ぐらい開けた後で話してて。その言葉、すごくいいなってずっと思ってて。で、今って、もうすぐ終わるかもしれないけど、一応「大考察時代」ってなってて。
近内:うん。
澤田:『ちいかわ』を見ても、『Tシャツが乾くまで』を見ても、『我々は宇宙人』を見ても、みんな考察をしまくると。で、考察って基本的には、作者や著者やクリエイターが、おそらくこんな思いでこういう伏線を入れたに違いない、みたいな。ある種の正解を当てにいくゲームにちょっとなってるじゃないですか。
近内:なってますね。
澤田:好き勝手にコメントしていいっていうことじゃなくて、誰が一番この謎解きをできるか、みたいな、なぞなぞみたいになっていると。だから、考察するのに慎重な人が僕の周りに多いなと思っていて。外したらどうしよう、みたいな。本来的には、言葉ってもう少しふわふわと、軽い気持ちでやり取りしてもいいのに、時代としてはちょっと重くなりかけているなと思っていて。BPMってあれですよね、音楽用語で。なんだっけ、Beats Per Minute? ミニットかな、そうかな。ミニットか。要はBPMって、音楽でいうと速度を示す単位で、例えば100だと割とミドルテンポで、120だとちょっとテンポが速くて、60だとバラードだね、って感じなんだけど。
近内:うんうん。
澤田:言葉のスピードがやや重くなってる時代に、あんまりそういうことを気にせずに、BPM120ぐらいでポンポン、感覚で。仮にエビデンスがなかったとしても、もうちょっとそういう軽やかさで会話していこう、みたいな。そういう宣言に、僕は勝手に感じられたというか。で、時にはもちろん遅いほうのBPM、ちょっとスローダウンして、沈黙みたいな、むしろリズムが止まるみたいなときもあってもいいかもしれないし。あんまり時代の言葉のリズムに合わせない番組になるといいんじゃないかな、って思った、っていう感じですかね。
近内:そうね。で、僕が「ことばのBPM」っていうときに、必ずその発信源が2つ以上あるイメージなんですよ。
澤田:あ、へー。
近内:だから、BPMがそろってるか、ずれてるかっていう。
澤田:あ、そうなんだ。なるほど。
近内:「お二人はBPMが同じですね」っていうか、「この二人のBPM、近くていいですね」っていうときに、やっぱり一つのバンドになってるというか。
澤田:そういうことだったんだ。おもしろいね。
近内:そう。だから、遊びとしてBPMをそろえるっていう。
澤田:はいはいはい。
近内:あるいは、もうちょっと僕らっぽい言葉で言うと、BPMが気がつくとそろってしまう、みたいな。
澤田:なるほどね。
近内:それって気持ちいいことだし。でも、言葉は何を意味して何を伝えるかじゃん、っていうふうに、さっきの澤田さんの考察みたいなニュアンスで言うと、意味というものが強くなっちゃうんだけど。いや、リズムそろってたら楽しくね?っていう。それだけで十分楽しいじゃないか、っていう。
澤田:なるほどね。そういう同調的な、ある種シンクロするようなことも含めた。まさに冒頭で適当に言っちゃったけど、グルーヴってニュアンスも入ってるってことだよね。
近内:そうそうそうそう。あんまりいい言葉じゃないなと僕は思うけど、「偏差値が20違うと話が合わない」みたいな俗説というか、スラングみたいな言葉があるじゃないですか。
澤田:はいはいはい。
近内:結局、頭の良し悪しだと思ってるじゃん、みんな。
澤田:確かに。
近内:知識がどこまであるかじゃなくて、違うんですよと。普段読んでる本が違うと、BPMがそろわない。「その本何?」とか「私その本わかんないんだけど」って、BPMが止まっちゃうじゃないですか。
澤田:はいはいはい。
近内:要は、同じ本が好きだとか、同じ音楽が好きとか、同じアーティストが好きだと、BPMがたぶん結構そろいやすいと思うんですよね。お互い共有してるものが多いから。だから、BPMがそろうってことは、たぶん趣味が同じなんだよとか、まさに頭の回転速度、ターンテーブルじゃないけど、レコードの。
澤田:うんうん。
近内:それがそろってるから、ポンポンいくっていう。僕らが仲良くなるときって、「趣味が違う」とか言うけど、趣味が違うとBPMがそろわないわけですよ。いちいちつっかえちゃうっていうか、レコードの音が飛んじゃう、みたいな。
澤田:そういうことか。
近内:だから、僕らはグルーヴとか……なんていうのかな。やっぱり僕も、仲いいなとか、一緒にいて楽しいなって思う人って、スピードが近いんですよね。
澤田:うんうんうんうん。
近内:あるいは、もしかしたら、速度をお互いがそろえようと、無意識にできてる相手同士。うん。あとほら、心臓の鼓動もBPMなわけじゃないですか。まさに1分間60回の脈拍、みたいな。
澤田:うんうんうん、確かに。
近内:心臓っていう、まさにビートっていうメタファーでもあるし、生き物というか、生命、命っていう感じがあっていいなと思って。「ことばのBPM」って、僕、結構よく言ってますね。
澤田:そうなんだ。
近内:実際、クラブとかでDJがかける曲に合わせて、フロアにいるみんなの心拍が整っていく、物理的に、みたいなね。そういうこともあるけど。
澤田:なるほどね、そういうことだったんだ。おもしろいね。僕なんか、シンクロっていうよりは、どっちかというと、会話のテンポ感みたいなことを、無責任にポンポン行くみたいなことが許される番組になるといいなと思っていて。
澤田:それって僕、結構「もののあはれ」を感じるというか。もののあはれっていう感情って、超速いっていうか。
近内:なるほどね。そういうことか。
澤田:うん。感情っていうのはそもそも速い。即座に、じゃあこれは闘争か逃走か、みたいな感じでジャッジしなくちゃいけないから、大脳辺縁系みたいな、古い脳みそで判断してるから、感情はそもそも速いんだけど、もののあはれって、その中でもすごく速いなって。すごく個人的な感覚ね。
近内:なるほどね。
澤田:人でも物でも自然でもいいんだけど、哀れというか、悲しみというかを覚えたときに、「うわ、あはれだな」って思うんだけど、そのときに超瞬間的に、自分とその物との心が火花を散らすイメージなのね。瞬間的にバチッ、みたいな。超速い、みたいな。で、短歌とかを、古今和歌集とかも含めて見ていると、日本の人って、もののあはれ性があるがゆえに、他者と同調して瞬発的に火花を散らす、みたいなことが、結構習性としてあるのかなって、ちょっと思ってて。
近内:うんうん。
澤田:短歌もそもそもそうっていうか、31文字の中に、恋する気持ちとか悲しみみたいなのを、パッとつかんでパッと表現する。もちろん練りに練って、みたいなこともあるけど、直感的に、その瞬間のもののあはれを捕まえているようなこともあると思っていて。源氏物語の表現とかもそうなんだけど。だから、考える前に感じる、みたいなところって、今すごく大事だったりするじゃないですか。これはよく言われる話だけど。
近内:うん。
澤田:だから、「あれ、ちょっと待って、今から話そうとしてる話って、バックアップできる論文あるかな」とか、いちいち考えてると、BPMが狂っちゃうっていうか。そんなこと考えずに、もののあはれファーストで、ズバズバズバズバ、自然なBPMに委ねる会話みたいなイメージでいたというか。
近内:うん、うん。ちょっとそれに触発されて言うと、たぶんみんな、言語化って分析のことだと思ってるじゃん。
澤田:ほう、なるほど。
近内:まあ、そうなんだけど。要は、まさにもののあはれとしか言えない感情を感じたときに、僕の西洋的な感覚で言うと、これは悲しみなのか、不安なのか、恐怖なのか、って分けたくなるじゃん。
澤田:うんうん。
近内:で、そういうときって、まさに科学の分析みたいに、まずこのチェック項目、リトマス紙を入れたときに色が変わるかどうか、こうなったら次の分析に移りましょう、みたいな。こういう形式的、分析的なものって、僕、2番目だと思うんですよ。
澤田:うん。
近内:分析だけうまくなっても、科学でいうと「試料」って言い方をするんだけど、要は調べたい物質がなかったら、調べる意味ないじゃないですか。つまり、感じた、あれは何だったんだろう、っていう順番のはずなんですよね。
澤田:うんうんうんうん。
近内:そのときに、みんな分析のツールだけうまくなったって、いや違う違う、まずは感じた。得体の知れない、えも言えぬ、もののあはれとしか言えないものがあった。でも、もうちょっとこれを細かく分けてみたいとか、もののあはれAと、今回感じたもののあはれBは、なんか違う気がするんだ、これ何なんだろう、みたいに。そこから言葉が細かくなっていく。
澤田:うんうんうんうん、そうだね。順番としてはね。ファストな脳の部位から、スローな脳の部位へ、たぶん切り替わる。
近内:うんうんうん。
澤田:生き物としては、ファストなほうが先なんですよね。
近内:そうなんだよね。
澤田:アントニオ・ダマシオが言うところの「ソマティック・マーカー」。個々人の身体反応の癖みたいな、偏りみたいなのがあって、それは生得的なものと環境的なものとで、相互に培われる、みたいな。ある状況では、Aさんは全く驚かないでワクワクするけど、Bさんは逃げ出したくなる、みたいなものって、ソマティック・マーカーだと思うけど。ソマティック・マーカーってすごく重要だなって思ってるっていうか。
近内:うん。
澤田:速さで言うと、例えば僕、映像編集の仕事とかを結構するんだけど、頭で判断してると、わかんなくなっちゃうっていうか。ここのカットを入れ替えましょうとか、尺を伸ばしましょうとか、テロップをここに入れましょうみたいなのって、わかんなくなってくるんだけど、ガチャガチャやってるときに、鳥肌が立つ瞬間がある。うわー、みたいな。
近内:うんうん。
澤田:うまくわかんないけど、「鳥肌立ちましたね」「私も立ちました」みたいな。じゃあ、なんでよかったか、ちょっと分析しましょうか、みたいな。まさに自分たちのソマティック・マーカーというか、体がまず情報をもたらしてくれたものを……つまり、まず腹落ちしてるんだよね、いきなり。
近内:うん。
澤田:まず腹落ちしてるのを、その次に「頭上げ」して、そこで、こういう言葉でもってこの現象を、完璧ではないにせよ、言えなくもないかもね、みたいな。だから、腹落ちから頭上げ。これ、「アハ効果」の逆で、僕「ハア効果」って言ってるんだけど。腹から頭へ、って言って。そういうのが大好物な人間だったりもするので、今のゆうりんの話はわかるし。だから、ことばのBPMって、ピンときたっていうかね。誤読も含めてだけど。
近内:腹落ちに対して、頭上げって言うんですね。
澤田:そうそう。
近内:さらっと出てきたけど、あ、澤田専門用語が出てきたと思って。澤田のタームだと思って。
澤田:そうね。よくやります。
近内:運動なんですよね。だから、考えるとか言葉にするってときに……。それで言うとさ、腹落ちっていうところからの、頭上げ。
澤田:うんうん。
近内:要はさ、「問いを立てる」とかって言うじゃん。
澤田:うん。
近内:僕がよく言うのが、「問いの前には謎があるんだよ」って言うんですよ。
澤田:はいはいはい。
近内:だから、腹落ちしてしまった。これ何?っていう謎から、こういうことかなって、問いにだんだんなっていく。問いを探すっておかしくて、いや、謎は体の中にあるんだよ、っていうね。頭より先に腹が落ちてしまったというか。
澤田:うんうんうん。
近内:頭が絶対遅れてやってくる。認識は必ず遅れてやってくる。
澤田:うん。
近内:だから、僕らは何かを理解したときに、「あ、そうだったのか」「そういうことだったのか」って、なぜか過去形で語るじゃないですか。
澤田:うんうんうん。
近内:世界のほうは、仕組みとしてはもうあったんだけど、自分の認識が後から来たから、過去形で語る。
澤田:うんうんうん。
近内:ここ、僕、結構重要なことだと思ってて。僕らは正しく納得したり発見したりすると、「そうだったのか」って過去形で語れるんだけど、システムとかに諦めるときって、現在形になるんですよ。
澤田:うん。
近内:「こういうものなんだよ」っていう。で、現在形って無時間なんですよね。時間が流れてないんですよ、現在形。
澤田:うんうんうん。
近内:英語もそうなんですよね。よくほら、普遍の真理とか、太陽は東から昇るみたいな、いつも繰り返されることは現在形で語られる、って言って。現在形って、昨日も今日も明日も成り立つこと。だから、I go to school だと、「私は学生です」って意味になる。昨日も今日も明日も、私は毎日学校へ行ってる存在である。だから「私は学生です」って意味になると。
澤田:なるほど。
近内:それが、今まさに学校へ向かってる途中だと、現在進行形、I am going to school になる。
澤田:going。うん。
近内:そう。っていうふうになるから、現在形っていうものの呪い。
澤田:そういうね。
近内:「そういうものなんだよ」って言った瞬間に、もうシステムが硬直化して、認識が変わらなくなる。
澤田:はいはいはい。
近内:だから、過去形で「そうだったんだね」ってちゃんと驚けるっていうのは、腹落ちと頭上げの振り子というか、運動がうまくいってるときに、おそらく僕らはちゃんと驚ける。
澤田:うんうんうん。腹と頭で納得できてるっていう。
近内:そうだね。
澤田:そうなんだよね。今の現在形の呪いの話も、すごくおもしろいなって思いつつ、ちょっといったん話を戻すと、でも腹が大事だと思っていて。英語だと「ガット・フィーリング」って言うのね。I have a gut feeling。ガットって、直訳すると内臓。
近内:うん。
澤田:内臓のフィーリング、内臓感覚みたいな。それって、腹落ちと一緒なんだよね。さっきのソマティック・マーカーの文脈でも、ガット・フィーリングってよく言われるんだけれども。だから、腹は嘘つかないというか、鳥肌も嘘つかないし、私たちの頬がポッと赤くなってしまうときにも、体は嘘をつかないから、まずそこに気づくっていうのはすごく大事なんだけれども。
近内:うんうん。
澤田:どんどん頭の時代になってるから、例えば、怒りを覚えるっていう表現も、どんどん変化していて。昔は「腹が立つ」だったじゃない。次、「頭に来た」。頭、上にブイーンって来て。今、「ムカつく」だから、体の外側に行っちゃってるわけ。
近内:うん。
澤田:ムカつくっていう表現が超危険だなって僕が思ってるのは、体から来てないんだよね。自分の外側から何か立ち現れてるものだから、本当にその人の腹の底から煮えくり返ってる感情じゃなくって、何かに流されてる可能性が結構高くって。みんながムカつくっていう感情で同調しちゃうと、それって増幅しちゃうから、それで炎上みたいなことも起きてると思ってて。腹が立ったって、そんなに炎上につながらないっていうか……なんて言うんだろうな。
近内:確かに。人を巻き込めないっていうか、自分の中で完結するというか。
澤田:そうそう。あと、腹が立ったっていうのは、1対1みたいな、割とスモールな関係性の中での深い感情だったりするから、戦争とかにはあんまりつながらない。肉親を殺されて腹が立ったっていうよりは、もうブチーンって感じだったり、まさにブチギレるんだけどさ。だから、怒りっていう感情も、実は腹に戻したほうがいいんじゃないかっていうのは、ずっとこの数年思っていて。
近内:うんうん。
澤田:僕、普段、怒るときに分類するんですよ。あれ、これってムカついてんのか、頭にきてんのか、はらわたが煮えくり返ってんのか、みたいな。ムカついてるときは、冷静になる。これはたぶん、もしかしたら本当の怒りじゃないかもしれない。でも腹が立ってるときには、いや、でもこれは、自分の大切な何か、サンクチュアリに侵略されてるのかもしれないな、と思うようにするっていうか。
近内:そうね。ムカつくって、社会的な何かによって怒らされてる、みたいなことがある気がしていて。例えば、なんていうのかな……電車の中で、高校生が友達同士で、そんなにバカでかい声ではなく喋ってるのを、俺たちは何とも思わないけど、電車の中でスマホで電話してる人たちに対しては、とんでもなく、いらっとしたりするじゃん。
澤田:うんうん。
近内:で、それを冷静に見ると、音のうるささで言うと、ほぼ同じか、下手すれば電話の人のほうが、ちょっと口元を押さえて「あ、電車で……はい、はい」とかのほうが、声はちっちゃいのに。電車の中で隣同士で喋ってる人に対しては、俺たちはムカつかずに、スマホで喋ってる人にはムカつくっていうのは、これは、ルールが先にあって、ルールを破ってるやつらを罰するっていう、たぶん我々ホモ・サピエンスに組み込まれてしまった誤作動というか、それが発生しちゃってると思うんだよね。
澤田:うんうんうん。
近内:どっちがうるさいかって言ったら、2人で来てるほうの会話のほうが絶対うるさい。なんだけども、それはスルーをして、自分の感覚では別にムカつくものではないんだけども、電車の中で電話で喋っちゃダメってルールがあるのに喋ってる人には、ムカつくっていうのって……
澤田:確かに、確かに。
近内:まさに、はらわたが煮えくり返ってない気がするんですよ。
澤田:確かに。なんていうのかな、学級委員長。「一億総学級委員長社会」みたいなさ。「それは良くないと思います」みたいな。
近内:そう。いや、僕がよく言うのが、特に年下の子たちの恋愛の話とかを聞くときにさ。あんまりジェンダーのことは言いたくないんだけど、特に男性に多いっぽいんだけど、彼氏が「そういうのって良くないよ」「そういうの普通じゃないよ」みたいな、社会的な規範を持ち出して突っ込んでくると。パートナーが。
澤田:うん。
近内:そういうときに、「それ、変な言い方だよね。僕は嫌だからそれやめて、って相手も言えばいいのにね」って言うと、「そうなんですよ」みたいに言うんですよね。
澤田:うん。
近内:まさに、俺が嫌だから、っていう、まさにマンツーマンっていうか。社会的に良くないよ、じゃなくて。それって、ずるいじゃないですか。社会のルールを持ち出して、相手に行動を変えてもらいたいっていうのって、やっぱり僕は卑怯だと思ってて。
澤田:うん。
近内:僕はそれが嫌だからやめてくれ。別にそれが社会的にはいいことだとしても、僕が嫌だからやめてほしいんだ、っていうのがね。教育現場とかでも、ある先生が言っていたのが、授業中に生徒が喋っちゃうとか、歩き回っちゃうとかに対して、「俺の授業では、俺はそれが嫌だからやめてくれ」っていうふうに言うんだよ、っていう。
澤田:なるほどね。伝わる。
近内:この先生が嫌なら、じゃあしょうがねえか、わかった、やめよう、みたいに、生徒も、子どもたちも、嫌なら嫌だ、しょうがないね、っていう。これが、「ここではそういうルールなんです」とかになると、ルールっていうものはじゃあ何なのか、みたいな問題になっちゃうと。
澤田:うんうん。
近内:そのときに、「いや、もう俺が嫌だからやめてくれ。以上」。それ以上、なんでですか?ってならない。「だって嫌なんだ。お前も嫌なことあるだろ?俺、嫌なんだよ、それ」っていうほうが、実はコミュニケーションとしては対等ですよね。
澤田:うんうん。
近内:ルールを持ち出して、「お前はそれはルール違反だからやめろ」っていうのって、やっぱりフェアじゃないと思ってて。お前はそれをやりたいのかもしれないが、俺は嫌なんだ。で、今一緒に関係性を持ってる以上、俺はやめてほしいと思ってる。でも、お前が続けたいって言うなら、それはちょっと話をしよう、みたいな。
澤田:わかるな。そのときに、なんでそこに、社会のせいにしちゃいたくなる防御志向みたいなのが働くのかが気になって。要は、若いカップルで、「社会一般的にはみんなダメって言ってるから、やめたほうがいいよ」っていうのと、「僕が嫌だからやめてくれ」っていうのって、なんだろうな。もし相手がそれを拒んだとき、「いや、社会がそうだったとしても、私はこうしたいんだ」みたいに言われたときに、ダメージをダイレクトに食らっちゃうっていうか。提案者がそれが怖くて、クッションとして社会って入れちゃうのか。どういう人の心性がそこに働いてるんだろうか。
近内:めっちゃ簡単に言うと、たぶん思考の経済学っていうか、頭を使わなくて済むじゃないですか。単純に、コスパがいいっていう。
澤田:あ、そうそうそう。
近内:だって、社会のルールでそうじゃん、はい終わり、ってなるっていう。でも、なんていうのかな、確かに「俺が嫌だからやめてくれ」って、ある意味とても暴力的なんだけど。これだけだと暴力的なんだけど、ちゃんと自分も変化する余地があるっていう。
澤田:うんうん。
近内:つまり、相手に「俺、嫌だからやめてくれ」って言ったときに、相手が「え、じゃあなんで嫌なの?」って言ったときに、「なんで嫌なんだろうな、確かに。あ、そうだ、俺、ちっちゃい頃にこういうことがあったから、これが嫌なんだな」みたいになると、「今これをやめてくれって言ったけど、それ自体が悪ではなくて、それに含まれる、こういう相手の気持ちが嫌だって思ってたんだ」ってなったら、自分も変化して、ここで二人のルールが改定されていくっていう。理想的にはね。
澤田:うん。
近内:会話的だと思うんだよね。
澤田:そうだね。
澤田:今ふと思ったんだけど、すいませんね……裸が怖いのかな。「社会」って服を身にまとった僕です、っていうふうに対峙したほうが、ダメって言われたときにも、いや、私が着てるこの社会っていう服がね、確かにダメだよね、ふんふん、で終わるっていうか。だから、「社会という服」問題かなと思っていて。
近内:うんうん。
澤田:で、ちょっと一瞬話がそれちゃうかもしれないんだけど、社会という服って、ほっといたらどんどん重ね着しちゃうっていうか。社会はこうなってるよ、本当は裸の私はそんなに寒くないのに、社会はもっと寒いって言ってますよ、もっと重ね着しましょう、みたいなのが起きる。で、それが顕著なのが公園の禁止事項で。あれって、明確にクレーマーがいなくても、あらかじめ行政側とか自治体側が看板を掲げることが多くて。きっと社会はこういうことが嫌だろうから、先に社会を重ね着しとこう、みたいな。だけど、公園に来る人たちからすると、そんなに重ね着しなくていいのにな、みたいな。
近内:うんうん。
澤田:あと、僕、マンションの理事長をちょっとやってたんですけど、それも顕著で。管理会社にあるお願いをすると、3倍ぐらいになって返ってくる、みたいな。例えば、うちのマンションに駐車場があって、雨の日に駐車場でキャッチボールしてる子たちがいた、みたいな報告があって。じゃあ駐車場の入り口に、ちょっとした注意喚起、「駐車場は遊ぶ場所じゃないよ」っていうのを掲げてください、っていうのを、管理組合の僕らからお願いしたら、数日後に管理会社が、A3ぐらいの超でかいポスターを3枚ぐらい貼ってて。ドンドンドン、禁止、みたいな。
澤田:そこまで大きな声で禁止って言いたいわけじゃなくって、車に傷がつくかもな、っていうのが子どもたちに伝われば、それで機能するんですよ、みたいな。つまり、マンションの住民っていうのはこれぐらい望んでるんじゃないか、みたいな、社会って服だけを見ちゃうと、どんどん重ね着傾向にあるから、人間の生身の本体がずれちゃうな、みたいなことがあって。でもそれは裏腹で、社会がこう言ってるからとか、これがルールだからっていう服を着てることで、生身の自分が傷つきにくい、みたいなこともあるんだけど。だから意外と、社会という服をいかに適切に脱ぐかとか、逆にこういうときはちゃんと重ね着したほうがいいかとかって、あんまり考えられてきてないんじゃないかなって、ふと思ったりしました。
近内:僕もこういう話をしたときに、友人が言ってたのが、たぶんそれって、「俺が嫌だから」っていうのを根拠に展開したり、その裸であるっていうのが、子どもっぽくなる、子どもっぽいとか幼稚、だから恥ずかしい、っていう感覚があるっていう。
澤田:いいね。その通りかも。
近内:まさに裸って、「裸じゃん、やばい」っていうかさ、恥ずかしいじゃん。
澤田:裸一貫な感じって子どもっぽいもんね。無防備で。なるほどね。
近内:お客さんが来ても、裸でバーって出てきちゃって、あ、すいません、みたいな。
澤田:なるほどな。
近内:やっぱり子どもっぽいから、それをやってよい、っていうか、やるべきだっていう発想がない、みたいなことを言われて。そうなんだ、と思って。
澤田:おもしろ。その話でちょっと……ちなみに僕、前回もそうなんだけど、変な仮説をどんどん差し込むんで、変だったら変って言ってください。
近内:でもね、変な仮説にさらに変な返答が重なって、当初の論点がずれていくっていう。
澤田:あー、よかったよかったよかった。今の話、すごく合点がいって、変なメタファーっていうか、理論を思いついちゃったんだけど。社会にはやっぱり大人が不在である、っていう理論を思いついて。子どもは子どもなんだけれども、子どもが成長したとき、成熟したときになるのは社会人。社会に適応してる人。だから、もしかしたら今の社会、特に現代社会は、子どもと社会人しかいなくて。
近内:うんうん。
澤田:でもさ、成熟した大人っていうのはさ、大事な人と向き合ったりするときに、「社会が」じゃなくて「僕が」って言える人だと思うんだよね。つまり、適切な子ども心みたいなものも、ちゃんと育んでる人が、もしかしたら大人。なんだとしたら、今は社会には子どもと社会人しかいないかもって、ふと思いました。
近内:いいね。でね、だから、確かにさっきの話で、「俺が嫌だから」っていうだけで止まっちゃったら、やっぱり子どもっぽいっていうか。
澤田:うんうんうんうん。
近内:あとで、ちゃんと頭上げ?
澤田:はいはいはい。
近内:嫌なのはもちろん、それが一番の原動力なんだけど、なんで嫌なのかなとか、そこを考えたんだけどさ、みたいにちゃんと言えるっていうのが、社会人ではなくて大人。
澤田:うんうんうん。
近内:で、大人はちゃんと社会人のルールもわかった上で、ここは俺嫌だよっていうね。だからちょっと反抗してくからね、みたいな。で、ここまでの反抗が社会的に容認されて、このあたりからだんだん容認されなくて、ここまで行っちゃったらもう完全にダメだよね、みたいなことがわかった上で振る舞える。つまり、社会人に擬態することもできるし、子どもに戻ることもできる。行ったり来たりができる、っていうのがやっぱり大人なのか。
澤田:だから、まさに子どもと社会人の間、あるいはどっちにも足を突っ込める人。で、どっちなんですか本体は、いや、両方なんだよ、っていうのが大人。
近内:うんうん。
澤田:子ども的なモードも出せるけど、社会人モードも出せる。でも、どっちも本当じゃなくて、これがマーブルのように混ざってる、っていうのが大人、みたいな。
近内:うんうんうん。ヘーゲルのアウフヘーベンだね。
澤田:まさにアウフヘーベンだね。子どもと社会人が統合されると、大人になる、みたいな。
近内:この理論はおもしろい。めっちゃいい。啓発的だと思う。子どもと社会人しかいない社会っていう。
澤田:そうだよね。でも今、ゆうりんが言ったのは本当に僕も納得で。僕はやっぱり大人って、複雑性があればあるほど大人だと思っていて。で、奇しくも今、flier book camp の合間なんですけど。Day1がこの間終わって、今度Day2を来週やるんですけど、Day1のキーワードがいくつかあるうちの一つが、まさにこのへんに奇しくも結構近くって。
近内:うん。
澤田:アイデンティティっていう言葉があるけど、僕、「ウィーデンティティ(We-dentity)」って最近呼んでいて。私は一人ではない、っていうことなんだよね。I は We である、っていうか。生きる過程で、複数性っていうか、複数の視点みたいなものや、立場や角度みたいなものをどんどん獲得していくことが、アイデンティティがどんどんウィーデンティティになること。私がチームになっていくこと。要は、個人性が、人生として団体性になっていくことだと思っていて。で、その We を構成する側面、一面が多ければ多いほど、僕はやっぱり大人だなって感じるのね。
近内:うんうん。
澤田:それってさ、例えば障害のある人と一緒に行動してると、すごく、僕なりに勝手に判定しちゃうんだけど。例えば、障害のある子どもとか大人とタクシーに乗ることがあると、明らかに10歳以上の子どもなのに、障害があるから、例えばお母さんが抱っこして乗せて、僕も一緒に同乗する、みたいなときに、運転手さんがたまに、急に「ダメですよ、お母さん。もっと自立させないと」みたいなことを言うわけ。
近内:うん。
澤田:いや、この子はこういう障害があって……関係ないよって。そういう場面に居合わせたことがあるんだけど、僕はそのとき、この運転手さんは大人じゃないと思ったのね。つまり、努力じゃ乗り越えられない障害特性っていうのはあるし、できれば自立してほしいっていうのは、どんな親も持ってるわけ。自分の負担が減るから。それでも今なおできていないっていうことは、努力の末にできていないっていう可能性もあるし。その状態のお客さんに対してそういう言葉を投げかけるということが、言葉が相当な武器に、傷つけるものになってしまう、っていう視点を持ち合わせてない時点で、僕はこの運転手さん大人じゃないな、みたいな。
近内:うんうん。
澤田:だから、障害のある人たちと行動してると、複雑か複雑じゃないかっていうことが明確にわかるのでね。乱暴なんだけどね、ワンシーンでしか評価できてないから、違うかもしれないけれども、そういう印象を結構僕は抱いてしまうというか。そういうことも含めて、例えば自分が電車に乗っていて、ドア際に立っていて、自分は次の駅で降りません、でも別のお客さんは次の駅で降ります、というときに、ドアが開いた瞬間に入ってくるシニアの方とかいるわけ。
近内:いるね。
澤田:普通に考えると、さっきの電話の話じゃないけど、マナー違反だってなるんだけれども。みんな降りるまで待てよ、みたいな。だけど、もしかしたら、そのおじいちゃんかおばあちゃんかシニアの人は、めちゃめちゃ足腰が痛いとか、つらいとかで、一刻も早く座らなければいけない。何駅乗るかわからないけど、じゃあ5駅ぐらい乗るんだったら、その5駅、座ると座らないのとでは、身体の負荷、あるいは痛みの増幅具合とかが全然違う、みたいな前提があったときに、そのシニアの方からしたら、もうマナーどころか、一刻も早く座らないと自分がサバイブできない、っていう状態かもしれないじゃん。
近内:うんうん。
澤田:でも、それを一刀両断にマナー違反だって切り捨てちゃうのは、複雑みが足りないとか……これって一歩間違えると説教くさい話になっちゃうんだけど。生きる上でいろんな人と接してきているから、他者の視点を獲得するチャンスっていうのは、やっぱり山ほどあると思っていて。そのときに獲得する気があるかないかと、その能力が高い低いかっていうのがあるのかどうか、ちょっと測ったことがないからわからないんだけれども。少なくとも、僕はさておきね、大人だなって思う、この人みたいになりたいなって思う人たちは、そういう多視点っていうか、ウィーデンティティというか、まさに子どもと社会人のあたりを行き来できる、アウフヘーベン・タイプだなって思うんですよね。
近内:やっぱりそれって、脳の負荷が高いんだろうね。それをやろうとすると。
澤田:超高いと思う。
近内:脳のスペックっていう、パソコンのメタファーで言うとさ、スペックが低いパソコンでやると、カクつくじゃないですか。負荷が重くなって、動かなくなっちゃうじゃないですか。そうすると、簡単な処理だけをやろう、っていうふうに脳が判断しちゃってるような気がしていて。今、話を聞きながら思ったのが、まさに今のタクシーの運転手さんの「ダメじゃん、お母さん」みたいなのって、判断が早いんだよね。
澤田:そうですね、まさに。
近内:『鬼滅の刃』でさ、「判断が遅い」っていう、師匠が主人公に向かって言う有名なセリフがあってさ。判断が遅いイコール良くない。もちろん、剣の斬り合いをしてるところだったら、それは死活問題だろうけども。まさに脳が、身体レベルでパッと動けるようになれ、っていうことなんだろうけど。
澤田:うんうん。
近内:また現代的な文脈で言うと、いかに余計なことを言わないかって、すごく大事な礼儀というか、礼節だと思ってて。
澤田:うんうんうん。
近内:「それって変じゃん」って、ついつい思っちゃうじゃん、自分からしてさ。聞きなじみのないこととか、その相手が何かやっちゃったときに。でも、まさにソマティック・マーカーじゃないけど、その人固有の型があるわけじゃん。そういう行動傾向になるように、この人は生きてきたわけなんだから。
澤田:はいはい。
近内:この人がここでこれを言う、この場面でこれをやった、どういうことなんだろうな、っていう判断を、できる限り先送りにする。具体的に言うと、口を出すのをできる限り遅らせる。
澤田:うんうんうん。
近内:それって普段から、話が見えない、っていうことをトレーニングしてないと……
澤田:うんうん。
近内:話が見えないイコール良くない、それ変じゃん、っていうふうに訂正しようとしちゃう。
澤田:うんうんうん。
近内:けど、この人はどういう行動原理でこれをやったんだろう、っていうことを探るって、まさにそのウィーデンティティ的な側面。たぶん。
澤田:うんうんうん。
近内:それって、判断を保留し続けるって、脳の認知負荷がすっごく高いんだろうな、と思うんだよね。
澤田:うんうんうん。
近内:だから、たぶん澤田さんは、スポーツを作ったり、遊びを作ったり、ゲームを作るということによって、わかる・わかんないじゃなくて、やってみれば、誰でも「そういうことか」ってわかれる、みたいな。あるいは、フラットに対等になれるとか。
澤田:うんうん。
近内:で、僕らであれば、BPMっていうものがあるよね、っていうのは、やっぱり身体的なレベルで持っていく、みたいなのは、ポイントな気がしてるね。
澤田:うんうんうん。だから、ホモ・サピエンスにとって、ネガティブ・ケイパビリティって、デフォルトで入ってないと思うんだよね。ホモ・サピエンスの脳の構造に。
近内:入ってない、入ってない。
澤田:だって、サバイブできないから。
近内:そうそうそうそう。未知の他者とかなりの確率で遭遇するような社会構造になって、初めて要求されるのが……。そう、だからさ、僕、よく認知バイアスとかって言うじゃん。
澤田:うん。
近内:ビジネスの文脈からさ、「こういうのが認知バイアスです。こういうバイアスから脱却しましょう」みたいなことを言う。いや、ホモ・サピエンスが命からがら獲得してきたものたちなんだよ、この認知構造は、っていう。
澤田:うんうん。
近内:人間が、社会がこうなっちゃったから、我々はバイアスだらけになっただけであって、サバンナで狩猟採集してるときには、生きるために資する、さまざまなものだったものが、現代社会ではバイアスと呼ばれてるっていう。いや、だからバイアスがいいだろう、じゃないんだけど、バイアスにはそういう由来があるんだよ、ってわかった上で、じゃあどこまで直すべきか、どこまでこらえるべきか、みたいな。ほっといたらバイアスだらけになっちゃうのは、しょうがないんだけどね。
澤田:そうだね。で、そのときに、ことばのBPMみたいなことを起点に、ともすれば真逆の話が出てきてるのがおもろいっていうか。もののあはれみたいな、感性を大事にした直感的な心情や、アクションや言葉みたいなのも大事だよね、っていうのが番組の一つの軸でありつつも、反射的に「それ良くないですよ」みたいなことを言う、そのスピード感は良くないよね、って話だと思って。
近内:そうそう。
澤田:さらにそうなんだよね。BPMをめちゃくちゃ落とすことの価値みたいな、今そういう話をしてるもんね。
近内:そうそう。
澤田:これが言葉で分類できるのか、できないのか、ちょっとお願いしたいんだけど。要は、直感的な、もののあはれみたいなことの中で、良い直感、悪い直感っていうふうに分類するか、あるいは、感性に従った直感は良いものだっていうふうにいったん分類しちゃって、その「お母さん、障害のある子を自立させなさいよ」っていうのは、直感的っていうよりは、反射的なものである、みたいに言葉を分けたほうが整理されるのか。ちょっとこのへんが僕まだわかってなくて。あるいは、ほかにうまい整理の仕方があるのかな、って思いながら考えてたんですけど。
近内:僕は、直感自体に社会的な価値、つまり善悪みたいなものがあるかっていうと、ないと思ってるんだ。結構フラット。体の反応として出てきてしまった、っていう。
澤田:うんうん。
近内:そこでやっと、メタ認知みたいなものが出てきて。この感覚は、自分自身持ちたくない、っていう、自分の中の倫理的な、あるいは美的感覚に照らして、こういう感覚を持つ自分っていうのは、自分の中で良しとしない。自分にとって美しくない、っていう自分基準での価値判断と……。例えば、ある作品を見て、すごく残酷なのに、とても美しいと思えた、みたいな。あるいは歴史的な出来事でもいいよ、ホロコーストでも何でもいいんだけど、その残虐さというものが、きれいに花開いた、美しい、みたいな。どこか破壊衝動じゃないけど、フロイトのエロスとタナトスじゃないけど、死への欲動みたいなものを美しいと思ってしまった、っていうのが、自分の中ではアグリーなんだけど、これ社会的に表出しちゃまずいもんだよな、っていうような判断とか。その二重の基準がある気がしていて。
澤田:うんうんうん。
近内:自分が抱いたこの直感、感覚は美しくないから、自分というものを組み替えなければならない、っていう。だから、センスを磨くって、そういうことのような気がしていて。逆に言うと、自分が抱いた感覚、「俺、残酷なんだ」「俺、全然心がきれいじゃなかったんだ」っていうところから、感性が磨かれていく、センスが磨かれていく、自分の美意識に気づいていく。なぜ今、自分が抱いたこの感覚に、なんて俺は醜い人間なんだと思ったんだろう、っていうところから、自分の美意識が構造化されていく。
澤田:うんうん。
近内:と同時に、さっきの子どもと社会人の話で言うと、この感覚は社会人的にはNGだな、みたいな、メタ認知的なね。2つのレイヤーがあって、簡単に言うと四象限。俺は良いと思ってるけど、社会的にはダメと思われてる、みたいな。私の中での良い悪いと、社会的な良い悪いで、この4つの項目に直感が分類されるのかな。
澤田:うん、うん、うん、なるほどね。で、アーティストなんかは意外と、私は良いと思ってるけど、社会はまだ悪いと思ってて、だけど、私の「良い」に社会の「悪い」が追いついていく、良いに反転していく、みたいなこともあるしね。
近内:なるほどね。
近内:この、反応する速度や、考える速度や、言葉にする速度、みたいな話っておもしろいっすよね。
澤田:うん。
近内:速ければいいんだって言うとわかりやすい。でも言っているのは、速くいけるときはポンポン上げていくっていうか、もう止まらずにポンポンポンポンBPMを上げて、楽しく身体的に同期していくと同時に、得体の知れない他者が現れたときに、一気にBPMを止めるというか、もうほぼゼロまで。
澤田:うんうん。
近内:で、まずはじっくり、「続けて」みたいに、「もうちょっと教えて」「なるほど」って。そして出すのは、自分の意見じゃなくて、まず質問が出てくる。「それってこういうことで合ってる?」みたいな。「じゃあ、こういう場合だったら、やっぱりそうなる?」とか言って、「なるほど、だんだん見えてきた」みたいな。
澤田:なるほどね。
近内:やっとまた同じものが見えたって思えたら、BPMがそろってきて、みたいな。
澤田:それで言うとね、個人的な話を一瞬しちゃうと、今日の収録でもそうで、普段から僕そうなんだけど、とりあえず、わーってインプットとアウトプットを、お互いとかチームでしまくるんだけど、合間合間で「概念休憩」みたいなのを挟みたいんだよね。ここまでの話で概念化すると、みたいな。「子どもと社会人しかいないんじゃないか」みたいな。
近内:うんうん。
澤田:そのときに、いったん僕、BPMがゼロになってるっていうか。なんでかっていうと、初めて自分がそれを口にするっていうか、初めて自分の口をついて出るような、生き物としての言葉だったりするから、この子たちがいい子なのか悪い子なのかもわかんないし、どう扱っていいの?みたいなのもわかんないから。概念がポロッと出た瞬間に、BPMがウィーンって落ちるっていうか。そういう感覚で、僕はそういうことばのBPMスタイルが結構あって。だけど、それを言われるまで気づかなかったっていうか。
近内:今の話、確かにこのポッドキャスト、特に澤田さんと僕、あるいは我々と近い人は、お互いそれぞれその場でやってるかもしれないけど、バーって一回まず試合をやったら、一回、感想戦に入るっていう。
澤田:そうだね。
近内:「さっきのあれ、めっちゃ良かった」「ここ、しびれましたね」みたいなことを、もう一回、今喋ったのを自分たちで見てみましょう、みたいなことをやってるかもね。トークの中でもね。
澤田:やってるやってる。対局を振り返ってるもんね。結構振り返って、名前をつけてるっていうか。
近内:なるほどね。
澤田:あと、またBPMを落とすようだけど、ネガティブ・ケイパビリティって、いろんな人がいろんな説明をしてるけど、全然わかんないね、僕。だけど、僕はたぶん、超やってるのよ。
近内:結構ね。そうそう、僕も自信あるんだけど、何?って言われると、っていう。
澤田:そうそう。で、僕は結構、うじうじ考えるのね。
近内:うん、うん。
澤田:うじうじずっと考えて、結論を出さずに。で、たぶん僕の中でネガティブ・ケイパビリティってこれなんだけど、うじうじ考えるってイメージが悪すぎるから、ネガティブ・ケイパビリティみたいな、めっちゃかっこいい概念にしてるんだけど、かっこよく概念化することによって、すごく実態から離れてないか、って思ってて。
近内:うん。
澤田:だから、直感とか、感性を磨くとか、センスとか、そういう話が出る中で、ネガティブ・ケイパビリティをどう位置づけるか、って話のときに、ネガティブ・ケイパビリティだと、話がそれこそちょっとつっかえるな、っていうのはいつも気になってて。
近内:そうそう。僕も、ネガティブ・ケイパビリティとしか言えないから、そう言ってるだけであって。
澤田:そうだよね。僕もそう。うじうじずっと、ねちねち考えることなんじゃないかな、みたいなことは思ってるんだけど。
近内:僕、今ネガティブ・ケイパビリティの話をしてるときに頭の中に出てきたのが、いつまで経っても釣り合わない天秤をいじってる感覚。要は、じゃあこうじゃないの、って思ったら、天秤が次の瞬間……よし、そうか、こっちが重いんだと思ったら、また天秤がクーって動き出して、あれ、逆?こっちのほうが軽いの?ってなって、へーってなって。え、じゃあこっちにこの重りを乗せてみたら釣り合うと思ったら、釣り合わないんですが、っていうのを素直に認める、こと、な気がしていて。
澤田:そうだよね。それはね、僕、結構「右往左往」っていつも呼んでいて。右でもない、左でもない。
近内:あるよね。
澤田:そうそう。やっぱりキーワードは「行き来」なんだよね。さっきゆうりんが、何の話で言ったか忘れちゃったけど、行き来って。
近内:うん。腹落ちと頭上げで。
澤田:あ、そうそう。行き来って言ったんだね。行き来がやっぱり重要なキーワードだと思っていて。いつも飲み会で話題に上がる、なんだっけ、サバイブとリブの2つ。生き延びると生きる、っていうのも、僕らはどっちかのモードだけで生きられるわけじゃなくて、生き延びると生きるの間を行き来するっていう。だから行き来っていうのが、最も重要な考え方っていうか、ベースになるよね。全てにおいて。
近内:本当に全てにおいてね。必ず2つないしは3つがあっての極というかがあって、行ったり来たりしてるっていう。いかに動けるか、みたいなね。
澤田:そうだよね。で、右に左に動いていくうちに、僕の感覚では、どんどんその右往左往の範囲が広がるのよ。
近内:うん。
澤田:右に一回行き切った、行き止まりだな。左にも一回行ってみよう、あ、行き止まりだな。もう一回右に行ってみようって言ったら、両方掘り切ったからこそ、右、もうちょっと行けんじゃん、みたいな。
近内:壁が、あれ、もうちょっと遠くまで動けるぞ、っていうね。可動域が広がってる感じがあるよね。
澤田:そう。だから、ネガティブ・ケイパビリティって、拡張し続ける右往左往みたいな感覚っていうか。で、ごくまれにアイデアに行き着くんだけど。ポーンみたいな、あ、これだ、みたいな。そういうときは鳥肌が立つんだけど、でも大体は、ますます悪化する右往左往をずっとやってるのがネガティブ・ケイパビリティっていうか。
近内:うん。
澤田:でも、そこで拾えるものがいっぱいあるんだよね。落とし物がいっぱいあるっていうか。
近内:うん。なんだろうね、ネガティブ・ケイパビリティ、あるいはその右往左往。ためらってるなってときに、ちゃんと「あ、俺が今ためらってるな」って自覚できるかどうか、っていう。
澤田:うんうん。
近内:ためらいに飲み込まれないっていうか。
澤田:そうだよね。ためらいは何かクリエイティビティの種である、っていう喜びを持ってると、きたきたって思えるっていうね。
近内:うん、うん、うん。その一周の、フィードバックのループを回せてるかどうかな気がするんだよね。
澤田:そうだね。
近内:停滞した、思考が停滞した、それによって全く違うフェーズで花開いた、って経験が1回か2回あるだけでも、あ、もしかして今のこのテンパってる感じとか、判断ができないって感じは、脳が大きくなるチャンスだ、みたいな。
澤田:さすが。今ね、BPMが一致した。もう、よかった。あのね、「脳」っていうキーワードを、まさに僕も出そうとしてて。迷子になってる状態とか、行き詰まってる状態とか、悶々としてる状態に飲み込まれちゃうと、そんな自分に嫌気がさして、ネガティブ・ケイパビリティをやめちゃうんだけれども、僕はいつもそういうときに、メタ認知を獲得するために、自分の概念、コンセプトを必ず当てはめるんだけど、これにおいては、僕、「脳耕民族」っていう概念を当てていて。
近内:うんうん。
澤田:脳、脳みそ。要は、今俺は迷ってるんじゃないし、うじうじしてるんじゃない、脳を耕してるんじゃん、みたいな。概念をパコッとはめるだけで、なんか楽しくなる。永遠に右往左往できるっていうか。
近内:しわが刻まれていく絵が浮かぶっていうか、脳に。ためらうとか判断ができないって、脳が固くなっていく感覚があると思うんだけど。
澤田:そうそう。脳がツルツルになる感覚。
近内:そう、変えなきゃいけないんだよね。脳が今耕されてる、土がふわふわになっていってる、っていう。
澤田:そうそう。僕はいつも脳みそのしわを意識してて。昨日よりもしわが減ってるんだったら、劣化だ。要は、何かが硬直化してるんだったら、思考停止してるんだったら、昨日よりも僕は劣化していて。昨日よりも脳のしわが増えていて、脳の模様、文様が複雑になってるんだとしたら、僕は今、前に進めてる、みたいな。そういうイメージ。
近内:あるよね。今歩いてる歩き方が正しいかとか、進んでる道が正しいかどうかの直感的な判断みたいな、一個メタの判断。かなり身体的なんだよな。
澤田:そうなんだよね。
近内:心地よければ、たぶん合ってる。なんか嫌だなって思うと、たぶん間違ってる、っていう、圧倒的な自信みたいな。
澤田:そうそう。その直感とか感性は磨けるしね。磨こうと思えばね。
近内:たぶんね、リスナーの皆さんは、いや、だから、あんたらはそれをどうやって磨いてきたかを聞きたいんだよ、ってことかもね。
澤田:あ、いいかも。じゃあ、第3回目はこれぐらいにしておきますか。
近内:なんかきれいに切れた。
澤田:ね、いいとこで。
近内:うん、そろそろかなと思って。
澤田:はい、じゃあ次の回も、たぶんこの続きから始めると思うので、皆さん引き続きぜひ聞いてみてください。ありがとうございました。
近内:ありがとうございました。
